倉敷から⼋代へ 九州萩原株式会社を設⽴
1960年代までは、⽇本最⼤のい草産地であった岡⼭県。い草の作付⾯積は、1960年は3,700haで全国1位、1964年には5,500haと最⾼を記録しました。⼀⽅で、⾼度経済成⻑期により⽔島⼯業地帯が発展したことで公害が発⽣。雇⽤も⽔島へ流れ、い草栽培を⾏う農家が減少していきました。また、都市化の進⾏により市街地が拡⼤し農地が減少した影響もあり、岡⼭県のい草の作付⾯積は急速に減っていきました。そんな中、熊本県が1968年にい草の作付⾯積が全国1位(3,880ha)となり、い草の主産地は熊本県⼋代地⽅へと移っていきました。 このままではい草事業の継続が困難になると、1972年熊本県⼋代市に九州萩原株式会社(現九州⽀店)を設⽴。それから30年以上、2015年に萩原の倉敷い草⽥が廃業したあと、萩原の国産い草の中⼼は熊本県産となりました。